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黙祷

4月7日。38歳の誕生日の8日前。木村拓也の、命日になってしまいました。


人に助けてもらわないと衰弱死確実な人間がその状態で2年半も生きていて。片や倒れる瞬間までノックバットを握っていた人間がたったの5日で逝ってしまって。
命って、なんなんでしょう。



コメント

おひいさん(太陽)のような笑顔

自分にとって「近い人」の死。

「阪神淡路大震災」をまじかに体験した時の事を思い出します。
そして、大空襲、原爆投下で亡くなられた多くの方々の事を想います。

(うけうりです・・・)
(お天道様は「与え」もしますが「奪い」もします。)
(この世には必要でないものなどないのですよ。)

肉体は無くなってしまった、自分にとって「近い人」。

ひとりだけでは頼んない自分の「心」に住みつき、お優しい顔で見ていてくれはる。
「頑張れ!」と応援してくれはる。
自分の心の中には数え切れない応援者、この歳になると応援団となっておられます。

いつの日か自分も誰かさんの応援団員になれればと思う、今日この頃です。

合掌。

.

生かされている意味

通常考えないし、気がつくこともないのですが、何かあるんですよ。
私自身、さっぱりわかりませんが。

この世に生まれてきただけでも運がいい

いつの頃からか思うようになりました。
何かを経験できるわけですから。

そんなこんなで、年齢を若く見られたがる近年の風潮が嫌いです。
年を積み重ねたくても、積み重ねることのできなかった人の想いってのがあるはず。
年老いることにも積極的な意味があるんだろうな、と。

>>なにわ東洋カープさん

>いつの日か自分も誰かさんの応援団員になれれば
この考え、すごく素敵ですね。私はまだ身近な人の死を体験したことはないのですが、これから私が見送る人たちに私の心に住みついて応援してもらって。いつの日か私を見送ってくれる人たちの心に今度は私が住みついて。
いつかは消えてしまうけれど、そんな人の心のリレーに私も加わっていきたいです。

>>(まめ)たぬきさん

病気になってつくづく思うのですが、生きているってとんでもない奇跡だな、と。危険で狭い足場の上で、ギリギリのバランスで立っているに過ぎないんだと実感しています。
5年後、10年後のことが話題になったりすると、決して悲観的になっているわけではなく、ごく自然に「そのとき私生きてるかな」と思ってしまうのですが、それって実は健康な人でも同じ事なんですよね。自分の命のもろさに気付く機会が少ないだけで。
そんな不確かな命をもって生きているということ。その意味を求めるより、奇跡のような命そのものが答えなのかもしれない、とも感じます。

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